- 山形県は、江戸時代の最上川交易によってもたらされた文化が現在も色濃く残っています。各旧家に伝わるお雛様もそのひとつです。紅花を京の都に運んだ山形の紅花商人が、帰りの船でお土産としてお連れした京のお雛様が大切に受け継がれています。山形では、遅い春の訪れを喜び、お雛様のお祝いが盛大に行われます。その仕掛け人安部英子さんをお迎えして、女将横尾昭がお話を伺いました。
春の訪れを告げる、山形のお雛さま。
- 壽屋女将・横尾昭
- 壽屋の野守の宿に展示しているお雛様は、壽屋の親戚筋や知り合いのお宅からお借りしてきたものです。特に私の実家、東根市神町の武田家のお雛様を借り受けて展示しております。私の小さい頃、お雛祭りは女が主役、お嫁に行った叔母らがみんな来てとても楽しかった思い出があります。こちらが一番古いのでは?と言われている享保雛です。
- お雛様研究家・安部英子さん
- 男雛の出で立ちを見ると、享保雛としてもだいぶ古い方でしょうね。江戸時代のお雛様は、肌の艶が本当にすばらしい。古いものほどいい作りで、胡粉の配合の仕方がすばらしくてあめ色の輝きを見せてくれます。五人囃子もかわいいのがあるじゃないですか。これも江戸期に入りますね。次郎左衛門系の五人囃子ですね。これがあるということは、上のお内裏様がいらっしゃるはずだけど…。
【享保雛(江戸時代)】東根市神町の武田家(壽屋女将の実家)のお蔵から平成23年に発見されたものです。紅花の栽培が盛んだった神町で、武田家はその組合運営に深く関わっておりました。また紅花栽培の豪農とも姻戚関係が歴代に渡ってあった模様で、享保年間の武田家二代目もしくは三代目の時代のものと見られています。
- 昭
- 私が子供の頃は、3組ぐらいのお雛様を飾っていた記憶があります。
- 安部
- お蔵の中から探し出してくださいな。ただちょっと気になることが…享保雛の男雛におヒゲが…お雛様をもっと偉くしてあげようと思って描いちゃったに違いないですね。お顔にいたずらは初めてみました。(笑)
次郎左衛門系のかわいい五人囃子。
- 安部
- 江戸時代のものは意外と少ないもの。明治時代になっていろんな種類のお雛様が流行りました。明治維新で政府は五節句を廃止して、西洋化を目指しましたが、庶民は反骨精神をもって止めずに逆に繁栄したの。女の人を慈しんだ表れがお雛様です。
- 昭
- こちら壽屋の横尾家のお雛様です。昭和に入ってこの近くに雛市が立ち、少しずつ買い集めたものということです。
壽屋隣接の野守の宿では毎年お雛様の展示を行っております。
- 安部
- 衣装人形、旗持ち、この人は家来、武将。この辺りが山形の雛祭りの面白い所で、本来であれば、五月節句の際に飾るものをお雛様と一緒に飾るのが特徴なのです。○○から嫁いできたというような家と家とのつながりからお雛様が存在するために、家制度をしっかり守ってきたお宅にはお雛様があります。お蔵にしまわれていたお雛様の時代に思いを馳せ、2代3代前の自分の家の歴史に誇りを持ち、自分のルーツを探りたくなるものです。お雛様はそこの家に長年住み着いている家族の一員ですから。特に雪国では、春一番の野老やふきのとう等の山菜を探してきてお雛様と一緒に飾り、卵を供え子孫繁栄を祈ります。御膳も、春の風情で盛り付けることが大切ですね。お雛巡りをしながら、みなさんで自分のお宅のお雛様について様々語り合うのが醍醐味のひとつでもあります。お雛様は平安の象徴ですから…
- 昭
- 私も案内しながら、みなさまからいろいろと聞かせていただいております。
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2016年春
安部 英子(あべ・えいこ)さん
お雛様研究家。現在の山形県の観光キャンペーン「山形雛の道」の貢献者。昭和40年代から最上川流域の旧家を訪ねて蔵に埋もれた雛人形の公開を呼び掛ける「開箱運動」を始めた。現在も県内各所のお雛様展示のアドバイザーや案内人を務める。
よこおともえ記