2014年6月30日

漬物師範が語る、壽屋の漬物作りの原点。

私は中央大学に入学するとともに剣道部に入部し、練馬区にある剣道部合宿所に住みました。練馬大根が多く採れたことから合宿所の近くには漬物屋さんが数多くあり、そこでアルバイトをした事が漬物屋を始めるきっかけとなりました。

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中央大学在学中の師範

家庭に伝わる秘伝を習い集めました。

しかし、アルバイト程度の経験と知識しかなかったため、近隣市町村の漬物名人のお母さんたちを尋ね、家伝の秘法を伝授していただきました。約30年間、数百件のお宅からあらゆる種類の漬物の技術を習い集めました。そうしているうちに、壽屋のある山形県内陸地方に伝わる漬物の種類や技術は全国各地でも抜きん出て一位であると確信を持ちました。それには次の三つの条件があげられます。
その1 自然現象による条件
夏は気温が高いのですが、冬期間は降雪量が多く豪雪地帯です。春はわらびを始め山菜類、夏は夏野菜の胡瓜やナスなど、さらに秋には大根や白菜、赤かぶなどを越冬のために保存しなければ冬期間は野菜を食べることは不可能でした。
その2 立地による条件
内陸地方の呼び名の通り、海岸からは遠く距離があり、盆地ですから山を越えなければ海へ出られません。交通の発達しなかった時代、塩はとても貴重な品でした。隣り町の村山市西郷には塩が信仰の対象とされた塩沢山塩常寺が現在も残されています。
その3 歴史による地域の条件
戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、山形城を中心に最上義光が最上藩として統治しました。しかし、最上家は義光の没後、三代目にしてお家騒動が因で改易になり、元和8年1622年には幕府領にされてしまいます。その後幕末までの間に、壽屋のある東根は23回も領主が変わり、代官が治める地となってしまいました。政治の貧困が経済の貧困をもたらします。従って経済も文化も活発になることなく、住民は貧しい生活であったことは容易に想像されます。
以上のような3つの条件から、冬季間の食料確保のために農産物の加工保存がどうしても必要でした。また、貴重な塩を大切に使う、減塩の文化も育まれました。
現在もよく知られる漬物として、塩を出来るだけ使わずに野菜を保存する代表格とされる「沢庵漬」は山形県上山市の春雨庵にて沢庵禅師によって考案されたものです。また、低い塩度でナスを漬けて保存する「ぺそら漬」は山形県大石田町が発祥の地です。最上地方に伝わる伝統の「やたら漬」は長期保存した胡瓜やナスの塩漬と雪室に保存した生大根などを一緒に漬け込み、胡瓜やナスの塩分を再利用して、生大根や人参などの生野菜を漬けることによって乳酸発酵が促進される漬物です。
貴重品である塩を出来るだけ使用せず、巧みな乳酸発酵の技術を駆使して作り出す漬物の数々、現在までこの地方の各家庭に受け継がれています。

私一人の物にするにはもったいないと漬物道場開設。

せっかく各家庭から教えていただき、収集した技術(秘伝)ですから、最初はミニコミ紙に毎月記事を提供しました。昭和58年に漬物工場を新設するにあたり、漬物の技術を教わったり教え伝授したりする事ができる漬物道場を開き多数の入門者を迎え伝授させていただきました。

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漬物名人のお母さんたちを尋ねたものは記事として掲載されました

もちろん、壽屋の漬物は全て漬物上手なお母さん方に教わったこの地方の土着の秘伝をもとに製造しています。お母さん方の工夫をヒントに商品化した物も数多くあります。各家庭での漬物の技法の伝授が難しくなった近年ではありますが、今後も私が受け継いだ漬物の製造販売に取り組んでいくことが、この地方の伝統の味と技法を守っていくことと信じています。
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漬物師範・横尾昭男
有限会社壽屋漬物道場 取締役社長兼漬物師範
有限会社壽屋寿香蔵 取締役会長
磯部理念に基づいた食品添加物を一切使用しない良い食品作りに努める。完熟梅の砂糖漬け完熟「茜姫」はその代表作。
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