2017年10月19日

みくちゃんと自由研究

みくちゃんと自由研究 文・阿部薫

7月のある日のこと。
店先で休憩をとっていた漬物師範は、近所で遊ぶみくちゃんに声をかけました。
「夏休みの自由研究は何をするの?漬物についてやってみたらいいんねが?」
「面白そう!やってみたい」。
二人の興味が結びつき、自由研究がスタートしました。


横尾昭男漬物師範と、阿部未空さん。師範とみくちゃんのおじいちゃんは同級生で、大の仲良しのご近所さんです。

●なぜここで漬物は生まれたの?

 4年生のみくちゃんは、1学期に社会の授業で各県の特色について学びました。兵庫県の姫路城やコウノトリ、丹波焼。そこでふと頭に浮かんだのは「山形は?」「東根は?」ということ。そこで師範に聞いてみました。
みく「ここの特色ってなんだろう?」
師範「特色の一つに、漬物があるね。なぜ漬物が根付いているのかにも注目してみよう。」
 東根小学校はその昔、東根城があった場所に建てられています。東根氏没落後、里見景観佐が城主となり、東根城や城下町の整備を行いました。1622年に最上氏の改易によって東根城は廃城。山形藩の陣屋が置かれましたが、1661年に破却されています。その後東根市を含む内陸地域は幕府の領地に。大名などの褒美として与えられ、幕末までの200年に領主が変わること23回。10年にも満たないうちに、何度も異なる代官がやってきては、政治を進めてきました。領民らの苦労も想像がつくのではないでしょうか。東根児童館前には、田口五郎左衛門代官の功徳碑が建てられています。田口代官は、飢饉の際は領民に自らの米を分け与えるなど手厚い配慮があり、その功績を称えています。
 政治的な貧困のため領民の厳しい生活の中で生まれたのが、保存食でした。夏はあたたかく野菜や果物がよく育つものの、冬は寒く雪が積もるので作物は育たない。さらに山々に囲まれているため、海は遠く、塩もなかなか手に入らない。そこで大石田には、乳酸発酵をすることで塩分が少なくとも保存ができる「ぺそら漬け」が誕生。また、野菜を乾燥させ保存する技術も育まれます。その代表的な食べ物が「梅干し」でした。


みくちゃんのおばあちゃんたちが、長年作り続けてきたぺそら漬けと梅干し。豊かに香り、優しい味がしました。

●漬物を見て見よう、聞いてみよう!

 みくちゃんは、師範に連れられ、壽屋の工場を見学しました。そこでは、梅干しを漬けるための作業に取り組んでいる途中でした。
みく「大石田のおばあちゃんの家には漬物樽がある、蔵があるよ。東根のおばあちゃんは、いつも梅干しをご馳走してくれるよ。」
師範「そうか。じゃあ、おばあちゃんにどんな風に作っているのか聞いておいで」
[ぺそら漬け]大石田町横山地方から発生したもの。塩がとても貴重だった時代、ナスを乳酸発酵させて保存しました。「できあがりはおばあちゃんの蔵の匂いと同じ」とみくちゃん。ピリッとスパイシーな仕上がりは、大人の味だったようです。
[梅干し]熟した梅としそ、塩を用いて作る梅干し。長く保存がきき、ご飯のおともや、おやつにも。



家ではこれまであまり漬物を食べなかったというみくちゃん。師範に教えてもらううちに、興味がどんどん深まったようです。学んでから食べる梅干しの味はどうかな?

●次なる挑戦

 みくちゃんは、師範に聞いた歴史、おばあちゃんに習った漬物のレシピをまとめました。そして、次のような感想を伝えてくれました。
 私は、夏にたくさん働き、冬には夏に保存した漬物を食べて健康に生活してきた、地域の暮らしにびっくりしました。まるで「アリとキリギリス」のようです。今の人は、漬物の漬け方をしらなければ昔の人に聞くこともできません。なので、今のうちに大石田、東根のおばあちゃんに習い、また来年の自由研究では漬けてみたいと思っています。
 壽屋では、みくちゃんの目を通して、漬物の魅力を改めて感じました。
 私たちは安心安全な食をお届けすることはもちろん、郷土の味が家庭で伝承されにくくなってきた昨今、「漬物」という大切な文化をこれからも伝えていきたいと思います。